ひょんなことから約4か月間(2022年4月25日~8月19日)ホテル暮らしをすることになりました。
自宅を3度建てて掴んだ家づくりのコツや裏技、ホテル暮らしから生まれた革命的なアイデアなど、為になるだけでなく、
私の人生を赤裸々に語る、愛と感動の物語です。 いちばんはじめ「優雅な朝食」から順番に読んでいってくださると嬉しいです。
私は結婚と同時に1軒目の家を建てました。幼少のころからの私の目標だったからです。
映画「三丁目の夕日」をご覧になった方なら想像しやすいと思いますが、昭和30年代というのは本当にあんな感じで輝いていたんです。昨日より今日、今日より明日。日本国と自分たちが足並みそろえて成長し、豊かになっていく過程だったんです。
「三種の神器」はご存知の通り洗濯機、冷蔵庫、白黒テレビです。
私の父は戦争に召集された最後の世代で、幸運にも生きて帰ってきました。
戦後まもなく商売がヒットしたので、三種の神器も町内一早く我家にやってきました。
でも我が家は狭かった。先々代からの呉服屋で、家の1階部分はほとんどが店。
家に入るためには店を通らなくてはならない。「ただいまぁ~」ではなく、「いらっしゃいませぇ~」とお客様に挨拶しながら奥へ入るのです。それが嫌だった。
もうひとつ嫌だったのは人口密度が過密だったこと。
居間も含めて部屋が3つしかないのに家族は9人。混雑ぶりは渋谷の交差点並みです。
6畳の居間に9人が集まってTVを見る。ちゃぶ台とタンスの場所を除くと一人当たり半畳。
「起きて半畳、寝て1畳」ということわざがありますが、トイレに立ったとき誰かが寝そべってしまうと、私の席がなくなります。しかもトイレは1つしかありません。行きたくなくても空いているうちに行っておかないとエライことになるわけです。
実際そうなったことが何度かありました。
結婚と同時に建てた、1軒目の家。雑誌「ふたりの部屋」の取材を受けた。1984年
それで一目散に自分の家を建てたのか? 理由はそれだけではございませぬ。
私は幼少のころから変わりものでした。お友達の家へ遊びに行って、まずやることは間取りのチェックです。
次は内装仕上げと水回り設備のスペック。野球ゲームにはまったく興味がありませんでした。
高校2年の秋、大講堂の真ん中あたりに座って進路指導を受けました。
将来どんな道に進むのか。世の中にはどんな仕事があるのか・・・。
その晩、私は「自分は何者になろうか?」と考えて箇条書きにしてみました。
料理人、美容師、映画監督、建築家の4つがすぐに出てきて、それ以外になろうとは思いませんでした。
料理人と美容師は立ち仕事なので体力的に無理。映画監督が第一志望でしたが、一番好きなものは趣味に取っておこうと思い、
消去法で建築家に決定しました。
その後、一度もやめたいと思ったことはなく、生涯建築家として飯を食ってこられたことは、この上なき幸せでございます。
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